The peace became Reality in Mindanao

 

ミンダナオ民間平和協定、その後… 「夢見ていた平和が現実に」

 

2015年5月25日にミンダナオ民間平和協定が締結されたフィリピンのミンダナオ·マギンダナオ州のブルアン体育館で「世界平和宣言2周年行事」が開催され、HWPLが提示した紛争行為の中断、宗教間の対話及び疎通など平和の原則を守るために制作された「平和記念碑」の除幕式が行われている。 同日、イスラム教とカトリック教会の指導者と政治家、軍の主要指導者らが大勢参加し、ミンダナオの平和維持と発展に努めることを誓った。 (提供:HWPL)

 

[天地日報=ソン·テボク記者]

 

「ミンダナオに平和が訪れれば世界平和が訪れる」

これは約40年間にわたる紛争で12万人以上の犠牲者が出る死地を見ながら、世界の人々が口にした言葉だ。 皆、ミンダナオにとって平和は不可能だと考えていた。

 

政府軍と反政府軍の平和協定も数回締結されたが、それらも霧散し、また銃口を向け合った。 こうして40年余りが過ぎた今、この地の住民たちにとって'銃'は平和の手段だと思われてきた。

 

しかし2014年以降、銃口を向け合っていた地元住民が、互いの家を行き来しながら交流する驚くべきことが起きている。 紛争が日常だった生活から平和が日常の生活に変わっている。 この全ての奇跡の根幹に韓国人平和活動家の李萬熙(イ·マンヒ)、(社)天の文化・世界平和・光復(HWPL)の代表がいる。

 

◆84歳に平和のため訪れた戦場「ミンダナオ」

 

李萬熙(イ·マンヒ)代表は2012年から世界平和歴訪を開始した。 2013年9月、フィリピンで会ったカトリック大主教のアントニオ·レデスマ·カガヤンデオ氏は、イ代表にミンダナオ紛争の終息に乗り出してほしいと要請した。 当時、ミンダナオは流血紛争が繰り返される戦場だった。 行くことそのものが命をかけなければならない状況だった。

 

イ代表は翌年1月、84歳の年で遠く離れた銃弾が降り注ぐ戦場をただ「平和」のために平和使節団と共に訪問した。 イ代表は当時、ここを訪れた理由として「平和運動家として誰かが平和のために来てほしいというのに断れなかった。 神様が同行してくださることを信じて向かった」と告白している。

 

ミンダナオ現地訪問後の一連の過程は、人の考えでは信じがたい奇跡の連続だった。 ミンダナオ紛争の本質がカトリック·イスラム間の宗教の摩擦であることを見抜いたイ代表は、2014年1月24日、フィリピンのジェネラルサントスで、ミンダナオ地域では初めて、宗教団体やミンダナオ州立大学の学生、国際青年団体の会員など約1000人と平和ウォーキング大会を行った。

 

(社)天の文化・世界平和・光復のイ·マンヒ代表が2014年1月24日にフィリピンのミンダナオ島を訪問、約40年間紛争が続いたカトリックとイスラムの葛藤の仲裁を導き平和協定を締結した後、記念撮影をしている。 (提供:HWPL)

 

 

 

◆一度に実現した奇跡のような平和協約式

 

ウォーキング大会を終えた後、ジェネラル·サントス市内のホテルに集まった政府や市民団体の指導者、青年団体、大学教授などの参加者らに対して、李代表は平和の必要性を力説した。

 

イ代表は宗教の名において紛争を助長する行為を強く叱責し、「創造主義の意味は戦争ではなく平和だ」と強調した。 続いて出席者らに「平和を望むのか戦争を望むのか」と聞き、平和を望むなら手をあげるよう求めた。 参加者全員が手を上げると、イ代表は「それなら平和協約書に署名せよ」と現場に参加したカトリックとイスラムの代表を呼んだ。

 

その場で行われた平和協定には、フェルナンド·カペラ前大主教、ミンダナ·マギンダナオ州知事が出席し、両者は戦争の終息と世界平和条約に合意した。

 

フィリピン大統領も法律もカトリックのローマ法王ですら成しえなかったミンダナオ流血紛争終息の序幕が上がる瞬間だった。 平和協定の現場は、フィリピン国営放送PTVとその他の民間放送を通じて報道された。 平和協定ニュースに接したフィリピンのラモス元大統領はイ代表と会った席で「自分もできなかったことをやり遂げた」と感謝の意を伝えた。

 

◆「李代表、政治家とは違う…」 本気度の成した成果

 

ミンダナオ民間平和協定の知らせを受けた政府軍とモロイスラム解放戦線(MILF)は、翌日の1月25日、予備平和協定書の最後の付属文書に最終合意した。 合意内容は、ミンダナオ南部のパンサモロ地域でムスリム自治権を認め、MILFを漸進的に武装解除するというもので、18年間進められた両者の交渉過程の中で最大の進展と評価された。

 

同年5月にフィリピン議会で、いわゆるバンサモロ基本法が立法手続きに突入し、2018年8月にドゥテルテ大統領が同法案に最終署名し、ミンダナオ内戦は事実上完全に終息した。 李代表の仲裁で実現したミンダナオ民間平和協定が確実な結果として現れたのだ。

 

2014年1月にイ·マンヒ代表の仲裁で実現したミンダナオ民間平和協定のニュースを伝えたフィリピンPTVエリザベス·カチン記者は本紙との2回のインタビューで劇的な平和成果の背景としてイ代表の「平和に向けた本気度」を挙げた。

 

同記者は「イ·マンヒ代表と政治家は違った。 イ代表はただ平和のために銃弾が降り注ぐミンダナオまで遠い道のりを訪れた」と語った。 続いて「紛争に疲れたミンダナオ住民たちは政治家とイ代表の違いがすぐに分かった。 『平和』に向けたイ代表の本気度が彼らを動かした」とし「イ·マンヒ代表であり、HWPLだったからこそ平和協定が結ばれた」と強調した。

 

フィリピンメディアは「これまで数多くの平和協約を通じて戦争を終わらせることで合意したが、また別の紛争は常に起きてきた。 そのために多くの平和活動家が活動してきたが、実質的に実を結んだのは韓国に本部を置くHWPL」と報じた。

 

政府主導の政治的平和協定が住民の反発によって破棄されたのとは違い、李萬熙(イ·マンヒ)代表が主導した民間平和協定は住民の支持で成立し、大きな反発もなく実効を上げることができたという点で違いを見せている。 協定後、地元の人々は平和を口にしながら一緒に歩く奇跡を目にし始めた。

 

2015年9月にHWPLが主催した万国会議1周年行事に参加したアルハズムラド·イブラヒムMILF代表は韓国の中央日報とのインタビューで、「ミンダナオ·マギンダナオ州知事を通じてイ·マンヒ代表が成し遂げたイスラム·カトリック指導者間の平和協定の知らせを聞いた」と述べた。 「われわれは18年間も政府軍と交渉を続けてきたが、妥結できていない状態だった。 2014年1月に李萬熙(イ·マンヒ)代表がミンダナオ、マギンダナオで成し遂げたイスラム·カトリック指導者間の民間平和協定は、MILFとフィリピン政府が公式協定を果たすうえで実質的に役立った。 多くの人々はこの事を信じないが、これは事実だ」と述べた。

 

2016年1月24日、MILF駐屯地を訪問したイ代表を現地のMILF軍と住民が熱烈に関係している。(提供:HWPL)

 

◆ミンダナオに建てられた「HWPL平和記念碑」

 

2015年5月、ミンダナオのマギンダナオ州はイ代表の平和業績を称えるための「HWPL平和記念碑」を建てた。 現場には、平和のために政府と反政府軍を代表する平和会談に参加した要人や地域代表者が大勢出席し、ミンダナオの平和維持と発展に努めることを誓った。 そして、ミンダナオ民間平和協定が成立した1月24日を「HWPL DAY」に指定し、「戦争から平和へ解放された日」として記念行事が行われた。 この日、カトリック·イスラム指導者たちは「神様と世界の万民の前で二度と宗教紛争をしないこと」と「HWPLと共に平和の使者になること」を約束した。

 

2016年1月、ミンダナオ民間平和協定2周年を迎え、MILF駐屯地のミンダナオ·スルタン·クダラットにも「HWPL平和記念碑」が建てられた。ミンダナオの平和がHWPLを通じて成立したことを対外的に公式化したのだ。 平和記念碑の除幕式に出席するためにMILF駐留地を訪れたイ代表一行は、ミンダナオ住民の熱烈な歓迎を受けた。果てしなく続く歓迎の人出はミンダナオ住民たちがどれほど「平和」を待ちわびていたかを代弁した。

 

2018年10月7日午前、韓国SBS放送局の日曜ドキュメンタリーチームは『平和、遠いが進むべき道』で2014年にイ·マンヒ代表を通じて行われた平和協定以降平和になったミンダナオ現地の様子を伝えた。「銃が平和をもたらすと思っていた」という現地人は銃がない平和な日常を享受していた。それはある日突然に愛する家族を失う極限の苦痛から脱したという意味だった。