Lee Man-hee, Chairman of the General Assembly, detention investigation must be end "when fair judgment is necessary"

イマンヒ総会長、拘束捜査はここまで「公正な判断が必要な時」

 

▲ 新天地イエス教会の団体血漿供与グラフと、大邱陸上振興センターでの血漿供与の現場。

 

[キムミンスン記者]検察で新天地イエス教証拠幕屋聖殿のイマンヒ総会長を拘束してから 約2ヶ月が経った9月28日、 水原地裁3次公判で検察と弁護士、そして裁判所が一堂に集まった。

 

コロナ19の防疫妨害嫌疑を適用した検察は、イマンヒ総会長が「証拠隠滅」の恐れがあるとして拘束し、この拘束状態にこだわり継続させている。しかし非対面礼拝を厳守することはもちろん、防疫当局に非常に協力的な新天地教会に対して裁判所では苦心しているようである。

 

90歳という高齢で、拘束収監中に腰の手術までした持病のある 患者に対して拘束捜査にこだわる理由を「証拠隠滅の恐れがあるから」と言うが、それは理由としてかなり不十分と言える。

手術の痛みがひどく、じっと座ることすらかなわない老人に対して、言うまでもない事だろう。

 

更にイマンヒ総会長は、去る3月2日、新天地に対する批判世論が極に達した時、記者会見を開いて「国民と政府に申し訳ありません」と謝罪発言をして土下座までした。

イマンヒ総会長はまた、新天地教会聖徒たちに「政府の防疫に積極的に協力してほしい」と願った。

 

一方、最近のチョングァンフン牧師の事態(拘束時また釈放時の態度、光化門集会などの問題)に対しては、大韓民国の国民の大半が公的憤りを抱いており、明白な比較対象として認識されている。 [8月31日の記事、韓国基督教長老会「コロナ19禍、誤った道から戻れという天の声....参照]

 

コロナ19禍が勃発してから今まで、新天地が何をして来たのか、知る人は皆知っているだろう。今までやって来た事を一々列挙するのも大変なほどである。

 

その数多くの事のうち、いくつかを思い出して見ると、教会を閉鎖、非対面の礼拝、徹底した防疫協力体制、1次と2次の団体血漿供与などあるが、一番記憶に残るのはイマンヒ総会長がたくさんの批判世論を全て受けながらも、記者会見を通して自らの任務として謝罪の土下座をした事である。

 

これらの事実が、新天地に対する世論が批判から良い批評へと変わっていった理由である。

 

批判されるしかないのはチョングァンフン牧師であり、教会の開放、対面礼拝の強行、防疫に協力してはならないという指示メールの発送、自分たちは誤りがないという主張、政府が弾圧しているという世論を作り出すなど、宗教人としての道徳性をあまりにも毀損している現状がある

 

イマンヒ総会長側は9月28日第3次公判で保釈を申請したが、検察は繰り返し「証拠隠滅」を大義名分として保釈を反対した。このゴリ押しとしか見えないこのような異常な事態は、恐らく大韓民国の建国以来、類例は探し難いだろう。

 

いよいよ、検察は最初のボタンから几帳面に調べて、公正な判断をしなければいけない時になった。大韓民国に非常に協力的なイマンヒ総会長を、しかも、90歳という高齢でも拘束状態で、 手術を何度も重ねて行って、 動くのも不自由な老人を、 無理矢理捕らえて拘束捜査をする事にこだわるとは、国民が、世論が理解できるのだろうか。

 

拘束するようになった動機が「自分たちの恥」と明らかになるとしても、今、自らを正すなら、正当な決定をしたという共感を十分に得られるだろう。

 

検察として本来の存在意義を取り戻す為の新たな段階に入った、とみるべきであろう。

 

出所:Issuelife

http://www.issuelife.kr/sub_read.html?uid=1452§ion=§ion2=